イニシェリン島の精霊(The BANSHEES of INISHERIN, 2022)

あんたはもう要らない。理由はない。嫌いだから関わってくるな。これからの人生は意味あることで過ごしたいから。

 

アカデミー脚本賞は「イニシェリン島の精霊」でもよかったんじゃないか。劇作家でもある監督マーティン・マクドナーが書いた台詞一行一行に笑いと力が籠もっていて、最後まで執念深く突き進んでから静まり返る完結を迎える。劇舞台もぜひ見てみたい作品だった。

 

突然言われた絶交の言葉を理解できない主人公のパードリック。コリン・ファレルのバカバカしい眉演技が見もので、戸惑う主人公を応援する気持ち(突然すぎるから理由でも教えて!)は新しい居場所を作って伸び伸びと過ごすコルムを見ていると徐々に納得感に変わる。説明なしは酷すぎたかもしれない、しかし果たして説明したところでパードリックは理解できただろうか。二人はこれほど違う存在だもの。

 

もう一人のパードリックと違う存在、ある意味この島の誰とも違うスマートな存在が妹のシボーン。島住民の民度を諦め半分で淡々と受け入れながら責任感でパードリックの側に居続けていたが、彼らのしょうもない絶交がもたらす事態に飽きれたあげく、自分の人生を歩むことを決心して本土へ渡ってしまう。

 

家族、友人、仕事、責任感、住み慣れ、色んな要素で人は自分の居場所を決めていく。しかしその場に相応しくないと感じたり、違和感を感じ始めた瞬間、それまでの慣れていた住み心地は奇妙なほどの苦痛に変わってしまうのだ。でも人一倍単純で鈍感なパードリックにその感覚を納得できるように説明するのは難しいだろう。そしてその苦痛を知ることが本人にとって幸せとも言えない。パードリックは単純なだけ優しい人でもあるから、納得したとしても振り向かせようとしたのと同じく努力するはず。しかしその努力はコルムにとっては無駄なのだ。

 

島の馬鹿者で問題児のドミニクはコルムの拒絶に納得できないパードリックに自分なりの理解を示す。その交流でドミニクは単に愚かな人間ではないことが明かされる。しかしそれが明かされたところで彼を変えたり、状況を変えたり、幸せにすることには至らなかった。腑に落ちる理解とそこからの新たなステップで人生は変わると思うけど、実際はそうならないことも多い。この島で半生以上を生きてきたコルムはその知恵で最初からパードリックへの努力を試さなかったではないか。

 

コルムは気持ちを抑えられず怒りを激発させたことで謝るパードリックに対して、それは楽しかったという。同レベルとして見れたという楽しさだ。そして最後の事態を迎えた二人はいよいよ同じ表情をする。やっと同等な関係になった二人はもうやり返しを繰り返す運命であるとパードリックから宣言される。

 

バンシーが告げた不吉は何か。別れか、愛するものの犠牲か、純粋で善良な心の喪失か。本土で起こっている内戦のように終わらない報復がイニシェリン島でも繰り返されることを告げたのかもしれない。

アンナ・カレーニナ(COCOON PRODUCTION2023 DISCOVER WORLD THEATRE vol.13)

3月5日のアンナ・カレーニナを観てきました。

時間が空いてしまい、印象メインの感想になってしまう・・・反省。

(以下ネタバレあり)

 

名作トルストイの長編小説を基にフィリップ・ブリーンが演出した本作。地位と能力において申し分ない政府高官の夫と愛する息子を持つ美しいアンナが若き将校ヴロンスキーに出会い、愛と自分の人生を求める姿を描き、読者には生きることの意味を考えさせる内容です。ヴロンスキーとの結婚を夢見ていたが二人の出会いで社交界から哀れな目を向けられたキティーは地方で堅実に農地を経営しながら神に与えられた命で本当にやるべきこととは何かを悩むリョーヴィンと結婚し、見栄を張る生活に終わりを告げます。美しい両カップルのあり方に自分の人生を照らし合わせながら生きる意味を噛みしめさせられます。

 

今回主人公で社交界の華であるアンナ役を演じる宮沢りえが大変美しく、他の配役も豪華で魅力的でした。物語の舞台となる19世紀ロシアの華麗な社交界と純朴な地方農地、そして各人物が色んな思いを抱いて次の場所へ移動する列車の駅も見事な美術で再現されていました。音楽、特にヴァイオリンの旋律は終始緊張感を足してくれて全ての家庭の幸せを願いながらも避けられない不幸を予感させます。

 

本作演出の面白いところは、ことのきっかけであり最も普通の家庭として提示されるアンナの兄、オブロンスキーとドーリーの家庭についてもかなり比重を置いて扱っていること。もちろん原作にはそこそこの説明があるものの、映像や舞台化ではやはりアンナとヴロンスキーカップルとリョーヴィンとキティーカップルを対照させるやり方が一般的でした。また、今までリョーヴィンとキティーカップルは純朴・純愛として演出されていたのが、今回は純粋なだけ不器用なところも描かれており、共感と可愛らしいと微笑みながら見れる場面もあります。3つのカップルが取り扱われることで現代ドラマチックに見ることもでき、志だけに人生を捧げるのは程遠い現代の生き方に寄り添った演出だった印象です。

 

ただ、この4人の物語が濃くなっただけに4時間ほどの長いプレイタイムにも関わらず、アンナと二人のアレクセイ(夫のカレーニンと恋人ヴロンスキーはどちらもアレクセイと同じ名前なんです)の心理は他作品ほど深く描かれていなかった。ある意味、かの有名な冒頭の一文「幸福な家庭はすべて互いに似通ったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。」に充実した作品になったのかもしれません。

 

いや、夫のアレクセイの人物像はどうだろう。アンナの夫カレーニンはアンナから死の境目に絶叫に混じった謝罪と懇願を聞き、二人の不倫を受け入れます。が、それでも離婚に同意してくれなかったため、悲劇への道を一歩進めます。死際の謝罪、後悔、懺悔、赦し。しかし、その後の人生でも状況は変わらない、人も変わらない。ただ、世間に関係を認めてもらえない二人の気持ちだけがボロボロにすり減られていく。宮沢りえの懺悔に近い謝罪、渡邉圭佑の謝罪に近い懺悔、どちらの演技も迫力ものでした。その後、すべて受け入れてからも二人に自由だけは与えないのはどのような思いからか、小日向文世が演じるアレクセイ・カレーニンについてはいろんな解釈の余地がある、後を引く名演技から逆に深い解釈が加わったキャラクターに仕上がっています。

 

星は★★☆

 

今回の作品に合わせキーラ・ナイトレイ主演の2012年作、ロシアのカレン・シャフナザーロフ2017年監督作、モスクワ劇団作などを見返しているので、その中から新しい感想があればまた追記したいと思います。